みぎわの歴史と今後の歩み

2018年4月、美樹和会は新たに2つの保育園を開園しました。ひとつは、医療法人清水会等と連携し、旧・京都伏見しみず病院(近鉄伏見駅付近)をリフォームした「清水みぎわ保育園」。医療・看護・介護に携わる方々を中心に、地域の保護者の方にもご利用いただける保育園であり、20時までの長時間保育や病後児保育も行っています。

もうひとつは、八幡市の運送会社、株式会社吉秀トラフィック等と連携した「吉秀みぎわ保育園」。ドライバーや事務員の方が安心してお子様を預け、仕事と子育ての両立をできればとの思いで開園しました。京田辺市、久御山町、枚方市など近隣の方にも門戸を開いています。

振り返れば、美樹和会がはじめての園「みぎわ保育園」を開園したのは1978年のことでした。ちょうどその頃、桃山南団地や桃山第二住宅が開発され、子育て世帯が多く入居したことを受け、まだ原野だった土地に園舎を建てて、みぎわの歴史が始まったのです。あれから43年、みぎわ保育園は地域の皆様に支えられながら、保育を行ってきました。その経験を活かし、京都の子育てニーズの拡大と多様化に応えるため、2014年の中京みぎわ保育ルーム、2016年の中京みぎわ園、そして2018年の清水、𠮷秀みぎわ保育園、2021年の朱雀みぎわ学童保育所を開園したのです。

みぎわの保育の原点

初代園長・塩谷いく子は、終戦直後から小・中学校教諭、幼稚園教諭、保母(当時の保育士の呼称)としての教育・保育経験を重ねてきました。そのなかで培われた方針「保育園では、めいっぱい遊び、おいしい給食をたくさん食べ、ぐっすり眠ること」を、みぎわの保育の基礎と定めました。何かを教え込むのではなく、子どもたちが自ずと身のまわりの事物に興味を抱くような環境を設け、その関心を自然に引き出せるようなかかわりを保母は心がけてきました。

「同じ園の仲間とめいっぱい楽しく過ごした子どもたちは、人とともに過ごす楽しさや喜び、相手と協力し合うことを自然と学び、また自分の興味関心を存分に追求できた経験から集中力も養われる。みぎわを卒園し、小学校に進学しても、保育園で自由闊達に過ごした経験は必ずその子の人生にとり、かけがえのない財産、強固な礎(いしずえ)になる」。こうした信念をもって、みぎわは1970年代から保育を行ってきたのです。

園を保護者、
地域の方々の憩いの場に

みぎわ保育園に今でもある大きなロビーは、70、80年代当時、お迎えに来られた保護者の方が、他の保護者とくつろいで話したり、保母とざっくばらんに懇談したりという相互交流の場になっていました。
「保育園は子どもだけではなく、保護者にとっても憩いの場にしたい」という思いがあって、そうした場所や機会を設けていたのです。

現在、美樹和会には7施設があり、それぞれ物理的な環境は異なるものの、お迎え等で来られた保護者の方同士の交流や、担当保育士等とのコミュニケーションが密にできるような工夫をこれから、各園で施していきたいと考えています。かつ、行事を通じた保護者の方、地域の方とのつながりをこれからも、深めていければと願っています。

多様な子育てニーズに応えるべく
新たな分野への支援も拡大

改めて振り返ると、みぎわ保育園開園から今年で43年が経ちました。この間、時代は大きく変わりましたが、みぎわの保育の原点は変わりません。保育園は、まず子どもたちにとって安心できる場所であること、毎日楽しく過ごせる場所であること、そして、職員はひとりひとりの子どもの欲求や思いに寄り添い、その子のもつ可能性を信じ、伸ばしていくこと。これらを基本として、子どもたちの主体性を重んじ、そして子どもどうしの生き生きとした関わりが生まれるような保育を、これからも行っていきます。

また、保護者の方々にとって、子育て期間の初期(乳幼児期)が充実した時間となるよう、みぎわとして最大限の支援を心がけます。日々のコミュニケーションを基本としつつ、①子育て講座の実施、子育て情報の発信、②みぎわの言語聴覚士、臨床心理士による発達に関する専門的な相談、障害児保育ならびに日常保育内容の改善、③みぎわの正看護師による病後児保育、体調不良児保育など、新たな分野の支援にも力を入れていく方針です。

保護者の皆様、地域の皆様には、引き続きみぎわの保育・運営に、ご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

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