初代園長・塩谷いく子は、終戦直後から小・中学校教諭、幼稚園教諭、保母(当時の保育士の呼称)としての教育・保育経験を重ねてきました。そのなかで培われた方針「保育園では、めいっぱい遊び、おいしい給食をたくさん食べ、ぐっすり眠ること」を、みぎわの保育の基礎と定めました。何かを教え込むのではなく、子どもたちが自ずと身のまわりの事物に興味を抱くような環境を設け、その関心を自然に引き出せるようなかかわりを保母は心がけてきました。
「同じ園の仲間とめいっぱい楽しく過ごした子どもたちは、人とともに過ごす楽しさや喜び、相手と協力し合うことを自然と学び、また自分の興味関心を存分に追求できた経験から集中力も養われる。みぎわを卒園し、小学校に進学しても、保育園で自由闊達に過ごした経験は必ずその子の人生にとり、かけがえのない財産、強固な礎(いしずえ)になる」。こうした信念をもって、みぎわは1970年代から保育を行ってきたのです。



